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株価の決まり方

成り行き注文優先の原則

同じ銘柄に売り買いの注文が多く集まったとき、証券取引所ではどのようなやり方で株価を決めているのでしょうか。

大きく3つの原則があります。売買注文の方法には、値段にこだわらない成り行き注文と、値段を自分で指定する指し値注文があります。

成り行き注文は注文を出すときに、たとえば「○○建設を成り行きで1,000株買って(売って)ほしい」というように、売買値段を指定しません。

取引を成立させる場合にはまず、成り行き注文が優先されます。これが成り行き注文優先の原則です。

指し値で買い注文を出した場合、証券会社は注文の価格以外で買うことはないので安心ですが、注文の価格に合う売りがないといつまでも売買が成立しません。

一方、成り行きで買い注文を出した場合、買える可能性は高くなりますが、問い値段の売り注文しかなかった場合、思わぬ商値で買ってしまう恐れもあります。

価格優先の原則

指し値注文のなかでは、一番高く買いたいという注文と、一番安く売りたいという注文から優先的に取引を成立させていきます。

これが価格優先の原則です。売りたい人の売却希望価格と、買いたい人の購入希望価格が一致しなければ、売買は成立しません。

売りの価格と買いの価格が出合わない場合、その銘柄の人気が高ければ、買いたい人は購入希望価格を上げることになります。

逆にその銘柄の人気が低ければ、売りたい人は売却希望価格を下げるはずです。このようにして徐々に売りと買いの価格が折り合って売買が成立し、株価が付くことになります。

時間優先の原則

同じ値段で買いたい、または売りたいという人がたくさんいた場合は、早く注文を出した人から早い者勝ちで取引を成立させていきます。これが時間優先の原則です。

また、午前、午後それぞれの取引開始時と終了時には、それまでに出された注文をすべて同一時間に出されたものとみなし、価格優先で売りと買いをすり合わせて取り引きを成立させていきます。

これを「板寄せ方式」と呼び、将定の銘柄に売買注文が殺到して収拾がつかなくなったときにも採用されることがあります。一方、通常の取引時間内の値段の決め方を「ザラバ方式」と呼びます。

株式会社の起源

四百年余り前に誕生した東インド会社

東インド会社とは、17世紀から19世紀にかけて、東インドと欧州との間の貿易や、南アジア、東南アジアにおける植民地の経営に従事した、欧州諸国の会社の総称です。

このうち最も勢力を伸ばしたのは英国とオランダの東インド会社で、それぞれ1600年、1602年に設立されています。

当初から株式会社の形をとったのは後者のオランダ東インド会社で、これが世界最初の株式会社ということになります。

一方の英国東インド会社は設立当初、1回または数回の航海ごとに資金を集め、アジアに出かけていった船が荷を積んで帰国したのち、その輸入品または輸入品の販売代金を、投資額に比例して出資者にすべて分配していました。

航海術が未発達の時代で、船が無事帰港できず、分配できる収益がゼロということもあったようです。まさにハイリスク・ハイリターンだったわけです。

近代的な株式会社に成長

しかし発足して数十年のうちに、近代的な株式会社の特質を備えるようになります。清教徒革命後の共和政権が1657年に行った改革により、航海の都度すべて清算するのでなく、もうかった分のみを分配する配当制度が導入されます。

貿易の隆盛を背景に、配当利回りは1670年代で平均21%、1680年代で同45%に達したといいます。株式の売買も自由になり、ロンドンの金融街では東インド会社株が投機的な人気を集めました。現代の株式市場を彷彿とさせます。

株ほど先の読めないものはない

株がインフレに強い資産とはいえない

「株はインフレに強い資産」とよく言われます。さて、実際はどうでしょうか。インフレは物価全般が持続的に上昇する傾向のことです。

日本で年0~20%程度の物価上昇が続いた1971年から1990年までの20年間について、日経平均株価と消費者物価指数の上昇率を年ごとに比べると、株価の上昇率が物価の上昇率を上回った年が15回ありました。

インフレには比較的強かったと言えるでしょう。ではハイパーインフレと呼ばれる急激な物価高の場合はどうでしょうか。

近年で有名なのはアフリカのジンバブエです。2007年には物価上昇率が6万パーセントを超えました。一方、同国の代表的な株価指数の上昇率はなんと30万パーセントに達し、物価上昇率を大きく上回りました。国の経済は崩壊状態でしたが、投資家はその難を株である程度逃れることができました。


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いつもうまくいくとは限らない

第一次世界大戦終結後、1920~23年のドイツを襲ったハイパーインフレの際は、時期によって株価が物価高騰に追いつかないことがありました。

たとえば1922年11月初めの時点で、卸売物価は大戦前(1914年)の945倍に達したのに対し、株価は89倍にとどまりました。

天文学的なインフレに歯止めがかからなくなると、企業経営者も投資家も社会の先行きに不安を強めます。これが株価の足かせとなるのです。


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